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いまの時代、愛社精神は不要なのか?

『令和6年 労働経済白書(厚生労働省)』によると、国内の就業者数は6,740万人、転職者数は328万人とのこと。計算上ではこの1年間で就業者の約5%が転職したことになります。また平成30年の同白書では「転職市場が活発化しており、加齢ととも に転職回数は増加していく傾向にある」と記載されています。終身雇用の崩壊により自身のスキルアップを目指し、転職が活発化することは企業の活性にも繋がりますので喜ばしいことかもしれません。その一方で同じ会社に長年勤めていると企業理念・文化が体に染みつき「この会社で定年まで過ごし、未来永劫会社が存続できるよう後輩にしっかりとバトンを繋いでいこう」と考える愛社精神の強い人もいます。そのような人にとってM&Aで買収した企業(以下、買収企業)の新たな企業理念・文化に賛同できるとは限りません。ちょっとしたフィクション事例を作ってみました。



背景(設定)                               


A社は食品製造を営む創業70年の中小企業でした。地元での知名度は高く、業績は安定していました。A社は創業以来、自社の利益よりステークホルダーとの関係を大切にし、自分たちが社会に認められる存在であることに誇りを持っていました。その裏には「良いモノを創って、良い関係を築いていればお客さんは裏切らない。何かあったときに助けてくれる」との考えがありました。しかしながら数年前にM&Aを受け経営権を失いました。その後、親会社から社員が派遣され「利益最優先」の方針にシフトし、企業理念・文化は変わっていきました・・・。


ケース1 愛社精神があるベテラン従業員の流出               


A社では少量多品種の食品を製造しています。得意先の多くが中小企業であり、これまで大手が真似できない”中規模だからこそ出せるこだわり”の商品を提供してきました。


しかしながらM&A後、同社は買収企業の取引先である大企業の得意先を紹介されました。大企業は受注単位が大きいので、生産量はグンと増えます。従って生産量が増えた分、どこかをカットしなければ工場はパンクしてしまいます。


同社は止む無く売上高が低く、なおかつ生産性の低い商品アイテムから順次、終売(減産)していくことにしました。


これまで取引があった得意先のなかには受注単位は小さくともローカルエリアで”高品質”と認知されているところも数多く存在していましたので、同社はその得意先と切磋琢磨しながら自社の技術力向上に努めてきました。しかしながら大手得意先からの受注が増えたことを受け、これまで付き合いのあった得意先が次々と無くなっていくにつれ、同社の技術力も徐々に低下していきました。


そもそも同社の職人には「お客さんが喜んでくれる良いものを創る」というプライドがあり、それが同社の企業理念でもありました。M&Aにより買収企業が「画一的なモノを効率的に創る」ことを優先させるに至り、自分たちの技術や後進育成は不要であると会社を去っていく職人が増えました。


大企業は供給能力と価格競争に強みがあります。機械化された工場では同じ商品を大量に生産すること、つまり少品種大量生産ができるために生産性や歩留まりが高く、1商品を低コストで製造することができます(商品のコモディティ化)。


一方で機械化されていない工場の場合、低コストで製造する上でネックになるのは人件費です。A社は機械化された工場ではありません。そのため大企業の価格帯に近づける手法として人件費の削減を始めました。


まずは買収企業の方針を盾に人事制度の見直しを行うことで全従業員の給与をカットしました。当然、納得ができない従業員は会社を辞めていきます。この時、従業員は自分たちの意思(自己都合)で辞めていくことになりますので、買収企業としては退職金の上乗せや再就職支援を行うことなく、かつ違法性を問われることなく人件費の削減に着手できることになります。


一方で給与がカットされても辞めない従業員は買収会社の方針に賛同したわけですから今後、給与への不満を表立って主張することはできなくなります。


その他、給与カットと同時に配置転換と称し転勤を命ずることもありました。地方で就職する人のなかには家庭の事情や地元に愛着があることを理由に地元企業を選んだ人も大勢います。従って転勤を命じられ、泣く泣く辞める従業員もいました。


こうして第一段階の人員・人件費の削減を進めたわけですが、次の問題として、辞めた従業員の穴埋めが必要になってきます。そこには外国人技能実習生や非正規雇用者を充当させることで人件費を削減しました。


そして人件費の削減はまだ続きます。


複数名でチームを組んでいる工程においては、各チームから強制的に人員を1名削減することで「やらなければならない環境」を無理に作り出し、気合(精神論)で乗り越えさせようとしました。また将来的な人材育成の一環として多能工化を目的に他部署へ異動させていた従業員を元の工程に戻すことで現在の生産効率を重視しました。さらに役付者にあっては役職を兼任させることで役職手当の削減を進めました。


昨今の役付者にはプレイングマネージャーも多数存在しているものと思います。大事なことは「マネージャー」と「プレイヤー」の業務割合になりますが、役職が増えるということは「プレイヤー」としてのフィールドも増えることになりますので、事実上、マネージャーとしての仕事は形だけになってしまいます。そのような環境においては人材育成や部下とのコミュニケーション、正当な評価はできるはずもありません。現場では人員を減らされ、管理者は実務を増やされる・・・先述の通り、残った従業員は買収企業の方針に賛同しているわけですから我慢するしかありませんでした。


人件費の削減以外では、長年こだわってきた原材料を変更することによって仕入れ原価を削減したり、工場運営経費のなかでも金額が大きい修繕の先延ばしや設備投資の抑制、挙句は作業手順や品質基準を見直す(カットする)ことで工数当たりの時間削減にも着手するなど、力業で大企業の価格に近づけようとしました。


原材料に関しては商品の品質を決める重要な要素になりますが、ブランド力さえあれば、こだわりを捨ててもお客さんは気づかないと思ったのでしょうか?また壊れたあるいは壊れかけた機械、設備であっても製造に影響が出なければ、お客さんは工場の中を見ることができないので問題ないと思ったのでしょうか?食品安全はやればやるだけ安心に繋がりますが、明確な線引きがあるわけではないので多少基準を落としても安全に影響はないと思ったのでしょうか?・・・70年のこだわりが短期間で無に帰していきました。


結果として製造原価を下げることができ、大企業からの受注は獲得できましたが、これまで同社がお客さん、仲間のためにと信じてやってきたことが否定されたわけです。もはや以前のA社ではありません。ベテラン社員の退職が相次ぎ、残った従業員のモチベーションや品質の低下(ブランド力の低下)を招きました。



ケース2 愛社精神がない転職者の流入                   


多品種少量生産から少品種大量生産へシフトさせるためには、ノウハウが必要になります。買収企業では中途採用が積極的に行われており、誰もが知っている上場企業からの転職組が大勢在籍していました。そこから同社にも数名派遣されてきました。派遣された転職組のミッションは大企業のノウハウを同社に浸透させることです。

転職組は、やたらと横文字やビジネス用語(略語)を使いたがるプライドの高いエリート社員(?)で同社に対し「大企業では当然のようにできていることが、この会社ではできていないこと」を指摘してきました。同社にもできない事情があったわけですが、そのことを反論しようものなら、言い訳と捉えられ一蹴されました。これでは会話は進みません。


また困ったことに転職組は各々の出身企業が異なっていたため、各人が三者三様、自分たちの出身企業で経験した手法を同社に落とし込もうとしました。


上場企業には様々な業種や規模の企業が何千社も存在しています。当然ながら企業の数だけ戦略は存在します。右に行って成功した企業もあれば、左に行って成功した企業もありますし、事業を拡大して成功した企業も、逆に縮小して成功した企業もあります。転職組は自身の出身企業の専門的知識が基準になりますので、ある人は「右に行け」と言い、また別の人は「左に行け」と言うことがバラバラでした。


仮に同じ意見だったとしても、それが大企業だからできていたことを知らないケースもありました。中小企業は経営資源に乏しく、認知度も信頼も大企業とは大きく異なります。それを自身の経験だけで指示されたところで、簡単にできるものではありません。A社が置かれた現状をきちんと理解し、その上でA社ができることは何かを思案し、A社にとって最適な提案をしなければ画餅で終わってしまいます。それを「俺はやってきた。お前たちは何でできないのか?」と叱責されては信頼関係が失われるだけです。


このような行動は、決して買収会社の理念や文化に基づいたものとは思えません。恐らく、転職組は上場企業で培ってきたスキルを買われて転職し、さらにスキルアップしたいわけですから自身の結果を出すこと、アピールすることが最優先になっていたのだと感じます。


結局、転職組は指摘するだけで何ら解決することはなく「お前たちができないことが悪い」と責任はA社に押し付け、その報告を受けた買収企業がA社を責める。残った従業員はストレスだけが溜まるだけの結果(言われ損)になりました。



戦略に関する補足                             


多品種少量生産する工場は様々な変更が可能であることが強みになります。企業は全国に約360万社あり、そのうちの99.7%が中小企業です。中小企業は様々なこだわり、色を出すことによって大企業との差別化を図っていきます。従って「如何にして大企業との差別化を図っていくか?」これが中小企業の悩みごとになります。その悩みに大企業が真摯に相手してくれるかと言えば、残念ながら相手してはくれないでしょう。と言うのも例えば「同じ労力を使って売上高100万円が見込める企業Bと売上高1,000万円が見込める企業Cがあります。あなたならどちらにアプローチしますか?」という問いを考えていただきますと、その理由がわかると思います。

同じ規模の会社で同じ悩みを抱えているからこそ真摯に悩み解決に当たっていける。つまり中小企業の悩みごとに応えられるのは中小企業であり、大企業との差別化を図ろうと思えば多品種少量生産で対抗することがひとつの戦略になります。

しかしながら1点注意があります。

それは得意先の悩みごとにすべて対応していくことはできないということです。それらすべてに対応していくと、時として得意先の数だけ商品アイテムが増え、その分ロスが多くなることもあります。企業活動は慈善事業ではありませんので、当然ながらアイテムや原材料の統廃合は進めるべきですが、それらを進めすぎると反って大企業と差別化できなくなる危険性がでてきますので慎重に検討する必要があります。

大企業と同じ土俵で戦うのであれば、「多品種少量生産から少品種大量生産へシフトすること」、またそのために「機械化や原材料の共有化していくこと」「得意先を変更していくこと」は戦略上必要になります。その考え方自体は全く問題ありません。マラソンで第2グループのランナーが第1グループに入ろうとする際、ギアチェンジするのと同じです。大企業も元々は中小企業であったはずです。中小企業が大企業になるためには避けては通れません。


ただ今回のフィクションで注目していただきたいことは「経営が安定しており、歴史とブランド力がある中小企業を敢えて大企業が望む工場にシフトさせる必要がほんとうにあるのか?」ということです。例えば市場が縮小し赤字が続いていた企業を買収し、その企業再生のために大規模な改革を行ったのであれば全く問題ありません。


では、なぜ買収企業はそのような戦略を選んでしまったのか?


答えは簡単です。買収企業がそのような戦略をとっていただけのことです。つまり「A社の強みは我々の知ったことではない。我々の事業はこの方法で成功しているのだから、お前たちもこの方法に従えばもっと利益が増えるはずだ」と。


「大企業のように機械化された工場の強みは何か?」
「中小企業のような多品種少量生産で職人が製造する強みは何か?」

新しい企業を経営するのであれば、まずは現状分析をしっかり行う必要があります。その上で現在の強みを捨ててまで大企業をターゲットにすることのメリット、勝算をしっかりと捉えていただきたいものです。


まとめ                                  


ケース1では”愛社精神があった従業員”、ケース2では”愛社精神が無い転職者”について記載しました。

ここでお伝えしたかったことは「愛社精神が無い(無くなる)と組織は崩れていく」ということです。なおここでの愛社精神には会社の歴史とは別に「この社長(人)のために働きたい」と言う想いも含まれます。

バーナードは組織の維持に必要な3要素として「共通の目的」「貢献意欲」「コミュニケーション」を挙げています。「共通の目的」とは企業理念・文化や社長の熱い想い、「貢献意欲」とは従業員のプライドやモチベーション、「コミュニケーション」とは職場環境や相互理解とも言えます。


ケース1では、仮に企業理念・文化が変わっても、新社長が新たな体制で将来の夢を語り、具体的なビジョンを従業員に伝え、理解させることができれば、退職者は出なかったかもしれません(共通の目的)。職人に対しても、熟練された技術がこれからのA社には必要であり、その技術を新たな体制で活用できる方法を模索していれば給与が下がっても退職しなかったかもしれません(貢献意欲)。買収されたことを旗印にA社の企業理念・文化が次々と変えられてしまっていては従業員の不満は募っていくばかりです。一方で社長は現場に向き合うことはなく、職制に従って指示命令していることの正当性を説き、問題はないと主張する。従業員の不満はいつか爆発します。お互いの立場を理解し合い、本気で向き合うことができていれば状況は変わっていたかもしれません(コミュニケーション)。


ケース2では、転職組はA社に無かった知識や経験を職種のプロとして享受することが役割なので企業理念・文化に愛着が無くても使命を果たすことはできるはずですが、うまくいきませんでした。理由は「自身の結果を出すこと、アピールすることを最優先に考えていたからです。


企業には様々な人が様々な想いで働いています。例えば、お金を稼ぐため、今の仕事が楽しいから、人間関係が良いから、自宅から近いから、お客さんから感謝されることがうれしいからなど、決して転職組の価値観である「スキルアップしたいから」や「評価を得たいから(より多く稼ぎたいから)」だけを目的に働いているわけではありません。転職組の価値観を持ってない人に、その価値観を押し付けたところで、そもそもの価値観が違う訳ですから、噛み合わないのは当然のことです。


転職組が職種のプロとして自身の知識や経験を浸透させる方法として、例えば「A社の商品を全国に知ってもらいたいと思っている。そのためには纏まった資金が必要になる。しかしながら今の効率では利益は上がらない。従業員には一時的な痛みを強いることになるが、A社を発展させるために是非とも協力してほしい」と具体的なビジョンを示せば、賛同する従業員もいたかもしれません(共通の目的)。ではなぜそのようなことができなかったのか?理由は簡単です。大企業出身であるプライドがあったからです。転職組が大企業出身であることのプライドがあるように、A社にはA社の、地方には地方の、現場には現場のプライドがあります。それを買収企業だから、大企業出身だからと小馬鹿にした物言いでは人はついてきません(貢献意欲)。論破することに喜びを覚える人と話していてもストレスだけが溜まるだけなので、対話しようとも思いません。A社の一員として現状を理解した上でA社に最適な戦略を提供したなら協力者はいたかもしれませんコミュニケーション)。


今回のテーマは「いまの時代、愛社精神は不要なのか?」と題し長々と記載してきました。結論としては「愛社精神は必要(共通の目的)」であり、さらに従業員とのコミュニケーションを通じて、貢献意欲を高めていくことが必要になります。


冒頭で「転職が活性化している」と記載しました。転職する人は、新たな会社ではゼロからのスタートになります。そのなかで自身の強みと言えるものは「前職で培ってきた知識と経験、実績」になると思いますが、結果を急ぐあまりそれを全面的に押し出しすぎると失敗に終わります。組織は生き物であり、その組織を構成する人の協力が無ければ、何も変えることはできません。あくまでも組織は「共通の目的」「貢献意欲」「コミュニケーション」で健全化しますので、そのことを忘れないようにしていただければ幸いです。

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